K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

オヨヨ書林せせらぎ通り店:用水の流れの果てに古書を買いに


引っ越す前、一昨年の梅雨の頃にこちらの職場に挨拶に出向いた。夜は長町で一献。ボクには呑む酒の旨さもさることながら、店の前の用水が音を立てて流れていること、に驚きを感じた。殺気が走るほど大きな音、ドドドゴーゴーゴーと唸りをあげている。金澤では辰巳用水が有名なのだけど、街中を歩いていると、先の大野庄用水や鞍月用水のを意識することが多い。街中の用水は大概穏やかなものだけど。

香林坊109の裏手,香林坊から沈下したような街の縁を鞍月用水が走り、その脇の路をせせらぎ通り,というらしい。由来など知らないのだけど。いつだったか富山と石川の県境の山嶺にKクンと登った後、お約束のように一杯やった。その後、長町あたりから回り込んだせせらぎ通り、丁度天頂に満月があった、の静かで・賑やかな、薄暗くて・明るい感じがモノトーンの影絵のように記憶に残っている。そんな月夜が似合う通り。

かの大戦で焼けていない街、きっと日本の多くの城下町がそうであったに違いない、江戸期からゆっくりと変態を遂げていった街の美しさ、累算的に積み上げられた人の営みで摩耗された光景、に気持ちを持って行かれる。たかだか、せせらぎ通りのことを書くだけで、気持ちがこれだけ入ってしまう。

その日は、金澤に春がやってきた日で、たまたまなのだけど広坂で仕事があって、早い時間に終わって仕舞った。柿木畠の更科藤井で一献やるには早い時間だった。竪町にあるオヨヨ書林に新しい店ができた、せせらぎ通り店に出かけた。広坂からお城沿いに歩いて、尾山神社の前を真っ直ぐ降りていく。こんなところまで「せせらぎ通り」が延びているんだ、と思うような場所に古い町屋があって、そこが店舗。用水の流れの果てに出かけた感じ。古い本たちを置くには申し分のないスペース。広々としている。古い日本家屋の匂いと、古書の匂い,嗅覚から攻められる古書店

おもに文学を中心に集めた古書店で、吉行淳之介なんかが沢山あって、昭和に引き戻された感覚が楽しい。竪町のオヨヨ書林も楽しい本が安いので好きなのだけど、この店もさらに安いので嬉しい。難を云うと、もう少し沢山の本があってもいいかなあ。だいたい30分でひととおり見終わった。やや物足りない。竪町くらいの本の量が欲しい。

さて1700円の買い物、映画と同じような嬉しい時間を買った、は以下の通り。単行本主体でこれだから、気持ちの合いやすい古書店がある街に住む愉悦は何者にも代え難い:

中村眞一郎:記憶の森(冬樹社,1980)昔,岩波新書山口昌男との共著本が面白かった。本の話し。

久世光彦:月がとっても青いから(文藝春秋,2001)昭和の申し子,語り部だから。

吉行淳之介:娼婦小説集成(潮出版社,1980)昭和もお仕舞い方になったときに赤線時代を回顧する。

原口統三:二十歳のエチュード(角川文庫)1970年の版なのだけど、その頃の若い女性が買った本らしい。裏表紙にオトコへの手紙が書き込んであった。あの時代の空気(ボクはガキだったから、小説でしか知り得ない)がながれてくる。その書き込んだ彼女もきっと還暦を随分過ぎているのだろうけど、覚えているのかな。

−−ここまでが何となく昭和をなぞるような本、あとは

長野まゆみ:銀河電燈譜(河出書房新社,1994)オヨヨには宮澤賢治の本も沢山あった。これも宮澤本で、妹とし(永訣の朝でうたわれた)と賢治の死後の話、小説らしい。

長野まゆみ:夜間飛行(作品社,1991)なんとなく昭和が終わってすぐ飛び出したヒトなのだけど、だから昭和そのもののヒトだなあ、という感じ。ボクと全く同世代だしね。小説を一つ二つ読んだくらいで、嫌いじゃない感じだったのだけど、ご無沙汰。

・渡辺吉鎔:韓国言語風景—揺らぐ文化・変わる社会 (岩波新書,1996) 日本以上に中華圏に組み込まれていた韓国、国字であるハングルの制定も15世紀と随分遅い。その国が漢字を捨てた精神面での影響にとても感心があるので、タイトル買い。

表紙を眺めるだけで、こんだけ気持ちを彷徨わせることができる1700円って凄いね。