K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金沢・竪町「オヨヨ書林」で辻まこと「すぎゆくアダモ」をみつけた.そして辻まことのことも少し


このあいだの日曜は金沢駅のほうでコンサートがあって,さて寺町台地のうえの古ぼけた集合住宅である寓居から如何なる路でいこうか,そんなことばかりを考えているのだから暇なんだと思う.だけど,確かに辻から辻を渡り歩きたくなるような,突き動かす何かがあることも事実.尾張町あたりの裏通りで,不意に祖母に作ってもらった料理の匂いが流れたりね.その日はとても蒸し暑く,ながながと遠回りをする気も起こらなかったので,長良坂から桜橋,新竪町,竪町から裏通りを近江町市場の方面へ歩くことにした.

一番の愉しみは竪町の「オヨヨ書林」でぼんやり本の背表紙をながめること.いつも500円から1000円で楽しい本を抱えて帰ることができる.恥ずかしい話ではあるが,500円以上の本は買っていないような気がする.その日も店頭の100円本のチェックから始めて清岡卓行の現代詩の評論を掴んで,深田久弥の大判のヒマラヤ本も100円.何なんだ!

さらに店の正面の陳列台でみつけたのは,辻まことの「すぎゆくアダモ」(創文社,1976年).前から欲しかった一冊.すでに,みすず書房辻まこと全集は揃えているので中身は読んでいるのだけど,これは創文社版が欲しかった.決して多くない彼の著作の最後のものであり,亡くなった翌年の出版である.最近の小説(西木正明『夢幻の山旅』)で病死(胃癌)ではなく自裁ある旨が描かれ驚いたが,ならば「すぎゆくアダモ」が別れの辞であることが,はっきりわかった.だから,もとの大きさの絵と文章で読んでみたかったのだ.東京に出る度に神保町の悠久堂などで探していたのだけど,これは見かけることがなかった.金沢で見かけるとは思わなかった.

だけど3000円という価格は一呼吸が必要で,なぜならば全集で既に読めるのだから.日曜は手にした本を棚に戻した,首を振りながら.まあだけど火曜の朝には取り置きを頼んだのだから,なんとも締まりの悪い話なんだけど.火曜の夕刻には自転車を飛ばして,櫻坂をくだって竪町まで.ようやく手に入れた.僅か49ページの箱入りの本.


彼自身をモデルにしたような子供アダモ,忘れられるのが嬉しいような子,の話.ある川の河口から舟を漕ぎ,川を遡っていく.だんだんと世の中との距離があき,彼の存在感が透明になっていく.そして辿りついた山上湖で辻の死と,その後のさらなる旅立ち「雨と一緒に大きな白い鳥の翼が,こんどは私のカヤックになるに違いない」が仄めかされる.そして「アダモは過ぎていった」.

辻まことは,父はダダイストで最後は狂った虚無僧として餓死した辻潤が父,関東大震災の折に愛人である大杉栄とともに憲兵隊(甘粕正彦)に虐殺されたアナキスト伊藤野枝が母.大正時代というふわっとした時代を画にしたような生い立ち.武林無想庵の娘イヴォンヌが最初の妻.先年亡くなった山本夏彦の「無想庵物語」はイヴォンヌへの追慕の書である(と思う)が,そのなかで辻まことへの複雑な心境が透けてみえていた.

辻の著作は軽妙,洒脱な山の画文集のようにみえて世間との微妙な距離感がみえ.ヒトへの暖かな眼差しのようにみえて深い諦念がみえる.いつまでも世間からふわっとして生きた(であろう)彼の著作は何かしら引きつけてやまないものがあるのだ.


辻まこと自身の出版は,これに加えて虫類図譜がある.あとはアンソロジー