K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

金澤・下菊橋のあたりで:梅雨が終わったその夕暮れに


 ここ数年、加齢のためか記憶の断片化が進んでいる。脳内への記憶の収納が時系列ではなく、あちこちの隙間に断片的に押し込まれているような感覚。記憶の呼び戻しは時間という住所で切られた脳内メモリをアクセスするのだけど、そんな断片化のためにここ数年の記憶が混乱しているような感がある。因果関係が逆転したり、事実関係が曖昧になったり、あったこともないことに既視感を感じたり。やれやれ

 ここ数週間も呑んだくれているので、その傾向が強まっている。薄暗いところで話をしていた。その昔、首が切られて笠のように飛んだので笠舞だとか、猿丸神社あたりの闇を感じさせる空気は丑の刻詣り(呪詛)によるものだとか。低い声で聴こえる女の声。そんな話を誰かとしたのか、その記憶がうつつなのか夢なのか。定かでない。のっぺりした話の感触だけが、汗のように流れていく。笠舞界隈に住んでもう何ヶ月か過ぎたということか。

 季節の変わり目には、気分の上がり下りが少々強く、そのためここ数年は居心地の悪い思いをしていたのだけど、ふっと気がつくとこの1年ほどは驚くほど鈍感になっている。おかげで楽な日々を過ごしている。香辛料が利きすぎている日々はそれが辛く、利かない日々は味気ない。微妙な翳りや、光の移ろいや、大気の匂いを感じないように思える。なんとも寂しいことだけど。

 いつだったか、夢かうつつか、確実にうつつなのだけど、印象的な梅雨の終わりを迎えた。激しい雨と雷鳴。そして透き通った梅雨明けの朝。今年の梅雨明けはニュースで知った。だから自分の感情の中でなんとなく認知できていない。梅雨が終わったその夕暮れに、ボクは犀川沿いを歩いていた。下菊橋のあたりで夕日を眺めていた。寺町台地が影になって浮かんでいる。相変わらず暑く湿気の多い大気がねっとり纏わりつくのだけど、夏がはじまったその感触を探し続けていた。結局のところ、やはり居心地の悪い思いで過ごす羽目になっている。