大分前のことだけど、三宮を歩いていた。懐かしい古書店に入ると、この本が眼に入った。
いつ彼がこの世から去ったのだろうか、そんなことも知らずにいたのだけど、その名前を見ているとあの場所に住んでいた30年前の頃を想い出す。
湾曲する浜辺を見下ろすように低い山嶺が続く。ボクは住処に近い建長寺の裏山、十国が見通せる、という峰から、その山嶺を歩き始めて、大佛の所に飛び出したり、焼き場の近くで怖くなったり、していた。そんな頃、土地の書肆から彼の本が出てて、酒を呑みつつ、裏山をふらついている、ことを知った。爾来、近しい感覚がある赤の他人になった。
大概は独りで過ごしていた頃だったので、赤の他人との距離感の遠近感が不思議な感覚で、遠くて近いヒトのように感じた。そう独りで峰を越えるとき、見えない同行者のヴァースを感じていた、ように思う。
そんな密やかな気分も彼方へ過ぎ去り、彼もこの世をおさらばし、本だけが残った。
いつでも、ボクは蟻だった、と思う。そして、これからも蟻であり続けるように、思う。地上数mの視点を持ち得ず、されど地上数mmの視点で見上げる。だからこそ、21世紀を見なかった彼からの、電子工学を生業とする、21世紀を生きるボクへのオマージュを確かに受け取った。ありがとう、20世紀の彼。電子工学なんて、四文字熟語でしか知らなかった酔いどれの彼に献杯。