CDのようなディジタル音源は全てデータにして、iTunesで管理している。だから、まあ重複する買い物も少なく(なくはない)、手の内にあるような感覚になっている。その代わり、データを抜かれ、抜け殻になっていないものの、意識が向けられないCDが放置に近い山積み。気になってきたので片付けはじめた。やはりデータと異なり、ジャケットの絵柄や質感から思い出す音も多く、CDからレコードに意識が移った訳、のようなものがおぼろげに分かってきた。音を聴きながら、奏者やジャケットの図柄、手に持ったときの質感、全てで感じているのだ。だから、CDよりLPレコード優れる点は、そのような5感の全て(嗅覚だってある、未だに輸入レコード屋の匂い、は覚えている)で感じることができる、ことに尽きる。
夜中までかかって、CDを整理したが、収納スペースの物理限界を超えていることが分かり、さて、どうしたことか。LPレコードも限界を超えているので、棚を買う代わりに、レコード用ダンボールを注文した。CD用ダンボールも頼んでおけば良かった、と思った。
その勢いで、引越してきてから整理ができていない本棚(どこをアクセスすれば、何が出てくるか分かっていない)の整理にも着手。今朝は日本文学周辺を。最近、あまり古書を買わないのは、本棚という記憶補助装置が壊れているから、何があって、何がないか、次第に分からなくなっているから。今日、少し頭に入れ直してすっきりした。それにしても、小川国夫の「アポロンの島」とヘミングウェイの「移動祝祭日」はどこに行ったのだろう。それから武田百合子の「富士日記」の下巻は持っていなかったのか、どこかに紛れたのか、そんな細々としたことが気になりだして、本棚に意識が貼り付いている、どうしようか。