ここ1年くらい、菊地雅章の音が気になって仕方が無い。あの個性に掴まれた、のだ。ECMのレコード聴きと並行して、ゆっくり菊地雅章と向き合っていきたい。
ボクにとっても菊地雅章は彼の音と同じで、音と音の間の無音そのもの、じゃないかと思う。存在で主張するのでなく、存在を消して主張する、そんな印象。そもそもジャズを聴き始めた1979年頃、SJ誌を熱心に読みながら、「ジャズ」に向き合っていた。その頃、菊地雅章は沈黙に近い状態であり、全く姿が見えなかった。ただ、やはり隠棲中のマイルス・デイヴィスとセッションを行ったらしい、との情報が流れていただけ。あとはギルとの英国公演のアルバムが出たり、とか。
結局、聴きはじめて3年目の1981年、マイルスがボストンKIXで復活したと報道されたメンバーのなかに、菊地さんの姿がなかったのが残念だった記憶がある。その直後に出たマイルスのアルバムでは、バンドにキーボードが入っていなかった(1セッションだけ、ロバート・アーヴィング)。ただ、マイルスの新しいアルバムは1970年代のファンクとは決別し、よりポップな方向へ向かっていた。そして、同時期に出た菊地さんの新譜スストが、その聴きたかったマイルスのファンク的な方向を引き受けたような感じで、とても気に入った。
(当時、日本発売よりも前に、米コロンビアから菊地Susto、日野Double Rainbow、渡辺How's everythingが発売され、驚いた。凄い時代だった。)
しかし、スストと同時期のone way travellerの後、再び視界から消えていった。ジャコがword of mouthの後、狂いながら消えていた時期でもある。菊地さんが再びアルバムを出す頃には、そんなことも意識から遠のいて、ごく浅く聴く日々が20年くらい続いたかなあ、と思う。
だからボクの意識の中では、菊地さんは常に存在していない、ということが存在感であったような気がする。
ここ数年、そんなことを思いだし、古いレコードを集めたりしていたのだけど、彼の音の重圧が意識の中で強くなってきたように思えてきた。1970年頃のピーコックとのセッションのレコードを聴いてから。そして、電化された軽いファンクも悪くない。
長くなったけど、そんなことで彼の録音を聴いていきたいと思う。
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このBOOTは、まさにマイルス隠遁期のコロンビアのスタジオでの録音。菊地さんが入っているが、どれが彼なの音なのか分からない。しかし、スストに繋がるファンクであり、そしてマイルスが決別した音でもある、ことに気がつく。コリエルのギターが咆哮するような、いい感じのセッションなんだけど、確かにマイルスが入るイメージがうまくできないようにも思う。
聴いてみると、こんなものかあ、と思うのだけど、当時、本当に聴いてみたかったセッションなのだ。
MILES DAVIS - STUDIO SESSION 1978
1. Miss Last Summer 5:11
2. Miss Last Summer 4:00
3. Miss Last Summer 4:05
4. Miss Last Summer 2:10
5. Miss Last Summer 2:55
6. Miss Last Summer 3:45
7. Miss Last Summer 4:36
8. Miss Last Summer 7:49
Miles Davis (org); Larry Coryell (g); Masabumi Kikuchi (keyb); George Pavlis (keyb); T.M. Stevens (el-b); Al Foster (d)