今年は忙しくて、あまり犀川源流に入れていない。それでも、時として憑かれたように行きたくなる。ブナの森に流れる流れ、にいたい。あまり沢山釣れたことはないのだけど。
昨日は、5:20 犀川ダム出発。倉谷廃村から4kmほど奥に。魚止めの手前で時間切れ。竿を出す場所が早く、また黒雲に気持ちを圧迫されて、13:15に引き返し。標高は500mを越えていた。2時間弱でクラコシ沢出合い。犀川ダムには16:50に戻った。帰路は約3時間半の行程。(犀川ダムから車止めまでの間は、クマを見たこともあり、まだまだ気が抜けないのであるが)
昨年もそうであったが、岩魚は時期が遅くなるにつれ、上流に上がっていくようだ。今回も釣れはじめた時点で引き返すことになり残念。釣果は尺丁度が一本。釣り上げたときは淡い茶色。まさに真珠色であった。引きも強く、満足できた。あと20cm数本だけど、それらリリース。
ヘボなので、歩行時間の方が遙かに長い犀川源流は、あまり釣果は冴えないことになるのだけど、なぜ行くのだろうか。やはり、誰も居ない源流域に佇む魅力にあがなえない、といことだと思う。単独行なので危険と隣り合わせ。また誰とも会わないこと、が常である。絶対的な孤独。だからこそ、時間、帰路、動物への警戒、緊張の中で過ごすことが強い刺激なのだと思う。それでも、ヘマを少しやったが。
帰り道、ダム湖沿いのブナが美しい。実は、これが愉しみなのかもしれない。
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