1981年のSustoとOne way traveller のグルーヴ感に驚喜していた。アガルタで最高にアヴァンギャルドなグルーヴしていたマイルスバンドを、さらに洗練したような音だったからだ。1980年代に復活したマイルスのバンドには、そんな空気は微塵も残っていなかったから、菊地雅章の次のアルバムを待望したのだけど、遂に出なかった。それは、Word of mouthからアルバムが途切れたジャコに通じる感覚だった、のは生々しく残っている。ジャコは1986年に事故死。菊地雅章のことも、次第に忘れたように思う。改めて、彼を意識したのは2010年代に入ってから。次第にその後の菊地雅章のアルバムを集めてみた。
1981年のSustoから1989年の美しいピアノソロAttached まで実に8年の間隙が空いている。その間のことはJazz Tokyoサイトの追悼ページ
に稲岡氏が記載している。7枚のCD(六大というシリーズの6枚と、このオーロラ)になっているのだけど、「リアルタイム・シンセサイザー・パフォーマンス=サウンド・スカルプチャー」という取り組みらしい。
このAuroraを聴いてみると、シンセサイザによる音の合成に凝っている、というよりは、相変わらずの疎な音を紡ぐような感じ。グルーヴ的な感じは全くなくて、またアヴァンギャルド的な空気もなく、なんとも表現し辛い。不思議、としか書きようがない。
ライナーノートは上田力なのだけど、ほとんどが菊地さんとの思い出に終始し、最後にシンセサイザの古い感じの使い方だねえ、ってちょっと書いて筆を置いている。おかしかった。
実は六大のシリーズは2枚持っていて、残りの4枚で菊地雅章リーダ作は揃う。レコード・CDを併せて。だけど、全く触手をそそらなくて、何ともまあ、ということなのだ。コレクターにはなり切れない、のだ。
kanazawajazzdays.hatenablog.com
----------------------------------------------
菊地雅章: Aurora (1986-1988)
1. Aurora ( part 1 )
2. Aurora ( part 2 )
3. Aurora ( part 3 )
4. Aurora ( part 4 )
菊地雅章 (syn)