金沢某所(分かる人には分かるが)、私的なライヴ。声をかけてくれた主催者に感謝。
確かに、あの場所でしかあり得ないような、one time performance の現場に居ることができたのだ。
(追記:同時期に開催された金沢ジャズストリートと全く関係のない会だった。)
旧い日本家屋の二階。ごく簡単なPA。管の奏者とふたり。淡い西日が射し込む中、はじまった。
バスクラリネットやフルートの太い音響の上で、声が震える。アルバムでの印象、器楽的であり唄のメッセージ性に拠らない、を更に強めたもの。音響としての声と管の組み立てが中心。さらっと緩く演っているように聴こえて、実に精緻な音の組み立て。声もアルバム以上に音響的に面白い。声が、声帯と声道の組み合わせで発声される、管楽器と等価である事を強く印象付ける。フリー・インプロヴァイズ系の巧みな奏者のように、声道での摩擦音のようなものが美しくもノイジーな効果を与えている。
ノイジーな効果、アルバムでの環境音がそうなのだけど(あるいはレコードでのトレース音の付加がそう)、そのような音響が、虚構としての音楽の時間軸と聴き手の時間軸の間隙を埋めていく、リアルな時間共有の感覚を与える、ことを深く印象付けた。
時々刻々と暗くなる部屋の中で、音の間隙に入り込む虫の音、ゆっくりと揺れる音場。得難い感覚だった。浅川マキの曲や蘇州夜曲を取り上げていたが、さりげない素材。石川出身の浅川の唄も、昭和初期の李香蘭の唄も、それぞれが喚起する時代のノスタルジアのようなものを、美しいノイジーな声で昇華している。これが今の時代の音なのかどうか、いつ頃分かるのだろうか。ノスタルジイを喚起する、少し先の時代の音を聴いたような感覚。
今日は金沢の素晴らしいお店、"海月が雲になる日"にてライブでした。
— 角銅 真実|Manami Kakudo (@kakudouma) 2019年9月15日
偶然のご縁が重なって実現した今回のライブ、とっても嬉しく感慨深い <海月が"月"になる夜>でした🌝
ありがとうございました。
明日は富山! pic.twitter.com/e4COMTfawG
終わった後は、主催者が用意してくれた食材で懇親会。美味しうございました。感謝。その中で、パスコアールと写った写真を見せてくれたのが、面白かった。彼のような不思議な音の玉手箱になって欲しいな、と思うと同時に、なるかもと思わせた一夜だった。
不思議な経緯での金沢でのライヴ。美味しい酒食を楽しめる場所なので、これからもタマには来て、いろいろ楽しんでください。