Anouar Brahem: Astrakan Cafe (2001,ECM)
1. Aube Rouge A Grozny
2. Astrakan Cafe (1)
3. The Mozdok's Train
4. Blue Jewels
5. Nihawend Lunga
6. Ashkabad
7. Halfaouine
8. Parfum De Gitane
9. Khotan
10. Karakoum
11. Astara
12. Dar Es Salam
13. Hijaz Pechref
14. Astrakan Cafe (2)
Barbaros Erkose(cl), Anouar Brahem(Oud), Lassad Hosni(Darbouka)
ボクの中で、いつも感じる違和感がある、と云うべきか、とてつもない所在のなさ。時に、意味もなく、ここが居るべき場所なのか、と打たれるように感じることがある。子供の頃からなのだけど。どこかに行かねばならない、と云う感情が沸き上がってくる。そんな気持ちも金澤にやってきて、随分長らく住みたかったこの街にきて終わるのかな、って思っていた。だけど、感情の奥底は非理性的な領域に違いなくて、簡単には変わるモノでもなさそう。やはり、意味もなく突きあげてくることが金澤でもあるのだ。やれやれ。
そんな感情とオモテ・ウラなのだろうけど、子供の頃は「ノン・フィクション」全集を読んだり、歴史書を読むことが大好きだった。少なくとも、本を読みながら浅いトリップ感に浸っている限り、そんな所在のない感覚が湧いてこないから。自ら「どこかに」感情を運んでしまえば、そこが居るべき場所、になるのか?
それがボクのささやかな「エキゾティズム」の源に違いなくて、ヘディンの中央アジア旅行記や、カーターのツタンカーメン王墓の発掘とか、エヴァンスのクノッソス迷宮の発掘とか、そんな話から漂う異境感がとても気持ちの良いものなのだ。宮澤賢治の童話も多分にそんな味わいがあって、大正という時代に違和感を感じていたであろう「時代の子」の感覚、大陸そして大陸の先に意識を飛ばしていく様が面白く、酔うたような感覚を将来するのだ。
いつだったか、金子民雄の宮沢賢治絡みの本(エキゾティズムという眼を透過させた記述の味わいが美味しい)を眺めていた。スタインとかヘディンが開いていった「秘密に満ちた内陸アジア」の実相が、大正年間に宮沢賢治の童話を照らしたように、知らぬあいだにボクの「エキゾティズム」の源になっているように感じた。
このAnouar Brahemという知らない奏者のアルバム「Astrakan Cafe」を手にとったとき、まさに、そのような感覚の扉を開くキイワードに溢れていたのだ。 Astrakanというロシア辺境のステップ地帯、蒙古系の領主からいつしか回教の地に、Khotanというタクラマカン砂漠の地・ヘディンが彷徨った、あるいはコーカサスの地Ashkabad.......
そんな目眩するような、エキゾティズムという満たされない異境感に浸りたい、という気持ちを、Anouar Brahemと分け合う時間。聴くたびに、ノン・フィクション全集を手にしたときのような浅いトリップ感に浸ることが楽しいのだ。