K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

井上有一展@21世紀美術館 漢字という暴力的な表現媒体で更に


 釣りの師匠の師匠の勧め、だったので出かけた。昼間から街中に出ることは絶えてなくて(人混みがダメ、なのだ)、先週のオヨヨ書林が久しぶり。これは昼間からの宴席があったからだけど、今回は、友人が来たので案内。そのようなことがないと、なかなか気が向かない。

 漢字は暴力的だと思う。象形文字である生い立ちから、視覚的な在りようが含意を強く主張する。だから、本の頁を開くと文章を読み、理解するという流れの中で、まず先行して漢字の群が「世界の空気」のようなものを主張する。豊なのか、明るいのか、精緻なのか...そして、かような強度に絶えかねた我が祖先が作ったのが「ひらがな」のように思えてならない。この「ひらがな」に漢字の強度を再付加したような「カタカナ」。漢文に付す記号が出自だから、視覚的にそうなのだと思う。

 そんな漢字という暴力的な表現媒体で更に、個人の心性のようなものを叩きだした書をみた。象形文字篆刻以前の亀甲文字に遡るような、の時代に戻るような呪詛にも満ちた、激しいものだ。文字という、人の考えを抽象化する手段が本来持つ、「書きもの」としての視覚的な効果を最大化したときの力にすっかり驚いてしまった。

 このような書、を様々な空間に針で止めたような展示、様々な明度の空間のなかに再配置することで、編集された「井上有一展」そのものが、優れたコラージュのように思え、久々に美術館を楽しむことができた、ように思う。多分、ボクのような素人には、あの書1つ1つと対峙することは難しく、編集された空間としての展示、という補助線があってのことだろう。

 頻繁に美術館に行かなくなって久しい(人酔いするから)のだけど、行ってよかった、と思った。

 夕刻の21世紀美術館は美しく、暮れゆく景色を眺めてから、帰った。