内田修ジャズコレクションの宝は、何といっても膨大なプライヴェート録音のテープではなかろうか。既にその目録は出来ていて、2016年の目録作成時点で150弱のセッションがリストアップされている。1962年8月26日(ジャズ・セミナー第3回発表会)から1997年9月14日(ヤマハ・ジャズ・クラブ第150回記念コンサート・2日目)まで。公開に対し、権利関係が大丈夫なものをリストアップしているそうだ。
リストを見て分かることは、若手の収録に力を入れていること。だから後年、我々が認識し得る奏者のデビューはレコード・デビューなのだけど、それよりかなり早い時期の録音が収録されている。1960年代はじめの和田直のクレジット、なんかを見ると驚いてしまう。
そのなかから、8つのセッションを展示室で聴くことができる。1時間ほど、幾つかのセッションをつまみ食いした。いや、本当に得難い経験だった。
1967年のALONE ALONE AND ALONE。
日野、菊地のバンドは、レコードでのBlue Note 4000番代のような新主流派的プレイではない。日野のリリカルなトランペットは、その後の1970年代の音、そのものだった。
今回の目玉はこれかなあ。
菊地のシンセサイザ・ソロはビートはないが、韻律のように低音がうねる。後年のシンセサイザ・ソロ6部作のような冥界の音ではなく、模索中の習作のような印象。今回の訪問での目玉は、1977年の菊地雅章のピアノソロ。1990年頃より数多く発表されるソロと同じく、疎な音。かと言ってモンク的なものでは決してなく、遺作「黒いオルフェ」と何ら変わらず、ピアノの自然な響きを生かしたもの。何よりも、わざとらしい残響が付加されない、彼のピアノの美しさを、ゆっくりした時間の中で味わうことができた。長考の音。驚いたことに、唸り声がない。ベイリーや高柳のギターと印象は近い。流れで音を出すのではなく、その瞬間にあるべき音を出している。垂直的な強い打鍵が作る浮遊感、モンクのような身体的なグルーヴを伴わない、は全く変わらない。最後は、クラシックの小品のような旋律が。これも驚き。
最後はTEE&COMPANYを聴く。井野信義の電気ベース?がグルーヴする。今田勝の電気ピアノも良かったなあ。