Areski, Brigitte Fontaine: Baraka 1980 (Kuroneko)
A1. Le Ménage
A2. L'éternel Retour
A3. La Traversée
A4. Le Light Show
A5. La Vache
A6. Pif
B1. Tout Le Monde Se Rappelle Peut-Être de Quoi Il S'agit
B2. La Maison Du Café
B3. Baby Boum Boum
Areski, Brigitte Fontaine(vo)
--------------------------------------------------------
最近の発掘音源。黒猫という面妖なフランスのレーベルだけど、実に音が良い。針お落とした瞬間、音空間が眼前に湧き上がる。アラジンの。。。。のようだ。嬉しい。半世紀近く経った音の缶詰の蠱惑、に包まれる。
フォンティーヌの入口は勿論、ラジオのように。その延長線の音が時折顔を覗かす:
何の延長線だって?
アフリカの乾いた空気に連なるような、音。
ラジオのように、もAEOCの音がエキセントリックでもなく溶けているのは、地中海エリアには、アフリカから乾いた熱風が吹き込む、その感覚が封じられているから。
DUの惹句:
1980年リリース『Les églantines sont peut-être formidables』のデモテープとなる奇跡の未発表音源が発掘!
アート・アンサンブル・オブ・シカゴの持つフリージャズのエネルギーが注がれた大傑作『ラジオのように』をフランスの名門レーベル《SARAVHA》からリリース後、1972~77年の間に6枚のアルバムを残した歌手ブリジット・フォンテーヌとパートナーでもある打楽器奏者アレスキ・ベルカセム。ボーカル、ギター、パーカッションのみ、もしくはアカペラのみで演奏されることが多かった彼らの音楽は、当時主流だったオーケストラを使用したフレンチポップとは対照的な音楽としてカウンター・カルチャーやアンダーグラウンド・シーンで高い評価を得ていました。
1980年リリースの『Les églantines sont peut-être formidables』のデモテープとして発掘された本作『Baraka』は、外部のミュージシャンを招かずに自宅のスタジオでレコーディング。内省的で不条理ユーモアを織り交ぜ、形而上学的なものから遊び心あるナンセンスな内容まであらゆるテーマに取り組んだ豊かな歌詞と、ステレオ・デュエットやヴォーカル・レイヤーを採り入れるなど技術的にも挑戦心を忘れない彼女たちのオリジナリティ溢れる作品群でした。
しかし、レコーディングがパリにある有名スタジオ"Studio Davout"に移りプロデューサー/ギタリストとしてマーシャル・“ミミ”・ロレンツィーニが迎えられてから状況は一変。過剰なプロデュースによるアレンジが加えられ、当初アルバムが持っていたミニマルで親密的な雰囲気が失われたことでシンプルさを求めていたフォンテーヌとベルカセムとは衝突。結果アルバムは『Les églantines sont peut-être formidables』という現在のタイトルに変更され、二人はこのアルバム自体を否定し商業リリースも拒否し続けていました。
最近発見されたこのデモテープの音源では、大げさなレイヤーなどは取り除かれデュオの歌声が生で伝わるように。彼女たちのディスコグラフィーにおける実験的なローファイ時代と、後期の比較的聴きやすい作品の間のミッシングリンクを埋める1枚でもあります。数十年経った今でも、フォンテーヌとベルカセムは反骨精神に溢れた唯一無二の存在であるということを象徴する奇跡の発掘音源が遂にリリースです。