K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

山本邦山: 銀界 (1970) 音の少なさ

 2年近く前に書いたときには、彼らの音がまさにECM的だなあ、と感嘆していた訳だけど、それは、音の少なさ、からきている。

 今改めて聴くと、ECMより淡い残響感は、むしろ沈黙を際立たせる効果を感じさせる。とても良い録音だなあ、と思う。

 それにしても、奏者達の音の少なさ、がとても饒舌さを感じさせる、ということは面白いなあ、と改めて思うのだ。菊地さんの音、アコウスティックな音は時間と関わりなく一貫しているなあ、と思う。

 今回、仕事場でもしっかり聴きたかったからCDも購入したが、かなり音は良い。針のトレース音がないから良い、かもしれない。奏者達との距離感もさほどない(レコードのほうが、やや良い)。廉価盤が出ているうちに、どうぞ。

 (ピアノが左、尺八、ベースが中央、ドラムが右と分離がややキツく、音空間を損なっている部分があるが、それがどうした、と思える程度。)

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[2014-04-06 記事] ECM的世界に漂う尺八

 聴かず嫌いの30年だった、と思う。武満徹のNovember stepsのような、邦楽をオリエンタリズムに迎合する具、のように使った音楽は好みに合わない。西洋音楽に対する異質感を利用したような違和感を感じるから。

 だから尺八のジャズという在り方、がそんな印象を持っていて、聴いていなかった。最近、1970年頃の菊地雅章のレコードを集める過程で手にしたが、それでも暫し聴いていなかった。

 ほんの数ヶ月前にはじめて聴いて驚いた。そんな先入観を打ち砕くもの。尺八が風や水など自然界を流れるものを体現する楽器ならば、まさにその尺八が内包する小宇宙が菊地とピーコックが織りなす静謐でかつ緊張感が漂う「室内楽的フリージャズ」と見事調和している。

 フリージャズといっても、破壊衝動から生まれてくる音ではない。既存の調性のなかでは生まれ得ない、美しい音を求める彷徨の末に辿り着いた音、のような世界。まさに沈黙の次に美しい、と主張するECM的世界に漂う尺八、であった。

 この時代の菊地雅章の音の鋭さ、先進性には驚くべきものがある。すっかり魅了されている。

 録音当時のECMは始動したばかり。マルのテープを買って、1番目のレコードを出した後。あのECM的音世界は「並行して作られて」いた時期。その初期ECMでピーコックも、彼の盟友であったポール・ブレイも関係している訳だから、このような菊地の音世界がECMとのパラレル・ワールド的なものであった、に違いないと思う。だから、最近になって彼のアルバムがECMから出たことも、そんな意味がある、のではなかろうか。

 あわせて知ったのは、つい最近、山本邦山が亡くなられたこと。冥福を祈りたい。

 

関連記事:

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山本邦山: 銀界(Silver World) (1970,Philips)
 A1. 序 (Prologue)(菊地雅章) 3:10
 A2. 銀界 (Silver World)(菊地雅章) 12:22
 A3. 竜安寺の石庭 (Stone Garden Of Ryoan Temple)( C. Mariano) 10:08
 B1. 驟雨 (A Heavy Shower)(菊地雅章) 9:46
 B2. 沢之瀬 (Sawanose)(菊地雅章) 11:46
 B3. 終 (Epilogue) (菊地雅章) 2:52
山本邦山(尺八), 菊地雅章(p), Gary Peacock(b), 村上寛(ds)
Photography [Inside Photos]: Ichiro Shimizu
Engineer: Norio Yoshizawa
Producer: Masaharu Honjo
Recording Date: October 15th & 20th, 1970 at Victor Studio