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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

原武史: 「昭和天皇実録」を読む(2016, 岩波新書) 祭祀の面から読み解いた

 

「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

「昭和天皇実録」を読む (岩波新書)

 

 常々、宗教的存在(あくまで日本的なアニミズム的な意味での宗教)として重みを増している皇室の凄み、のようなものを感じている。祭祀の王、という原点への回帰を続けている。明治維新以降の反伝統的な、政治的な存在、から脱却することにより、より「なにものでもなく」「すべてのもの」であるような、万物の霊性を司る古代の王の如く。今上天皇の祭祀を中心とした、それも21世紀的に再定義された、在り方が古代の「政(まつりごと)」を21世紀を幻灯のように映し出している、ように思えてならない。だから、新左翼に支援された議員が「直訴」するという倒錯さえ、騙し絵のように抱合する強靱さすら持ち合わせている。「なにものでもなく」「すべてのもの」、なのだ。村の鎮守で手を合わせるような感覚、を昇華させたものではなかろうか。

 そのような意味で、先帝の「実録」を祭祀の面から読み解いた本書の切り口は、とても興味深い。巷の報道でも、先帝が祭祀に不熱心で、今上天皇が祭祀に熱心である旨は知らされていたが、より具体的に述べられている。祭祀をさぼりビリヤード云々。また母たる皇太后との確執など。張作霖爆殺のあと田中義一を事実上罷免したような政治的な存在から、敗戦後、ゆっくりと祭祀へ回帰していく様が、現下の皇室の在りように繋がる、そんな印象を本書を読み終えて思った。祭祀長としての皇室を考えた場合、実に本質的な切り口なのである。

 付け足しではあるが、人間宣言で「現人神」であることは否定したが、「神の子孫」であることは否定していない、というくだりは面白かった。