以前、中国の夏王朝(殷の前の伝説上の王朝)が、かつては史記の伝承であり、存在が認められていなかった。殷墟が発見されるまで、殷もそうだったのだけど。
殷の半ば以前は無文字の時代であり、実証は困難と云われていたが、考古学的な発見のなかで、「王朝」の存在が認められるような王宮跡が見つかったりで、その存在が有力であると認められつつある。
そのなかで史記の記載を確認するために、考古学のみならず天文学まで利用する学際を超えた動きに驚いた。
日本の起源を考えるなかで、大陸から九州にかけての人の動きを、考古学のみならず言語学やゲノムまで駆使し、それが霧の中ではあるが浮かび上がってきている。
ヤマトの周縁の外にある沖縄については、言語学のなかでの日琉祖語や、考古学の研究のなかで、大陸から九州を経て沖縄に至る1000年以上の歩みが見え隠れしている。
同じくヤマトの周縁の外にあるアイヌについては、考古学の研究のなかで縄文人の末裔たる歩みが見えつつある。ロシア領方面から来たという、ロシアに呼応したような先住民否定派の存在は誠に愚かで、皇統の末裔が先棒を担いでいるのは嘆かわしい。瀬川拓郎の一連の著作の一読を。活発な海の交易民としてのアイヌの認識が新鮮である。
さて東北は、アイヌ(あるいはその祖先の擦文人、続縄文人)とヤマトの境界域にありながら、その歴史は明らかでない。その興味で先代で地方出版でもないかと思ったが、それはなかったな。