K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

(ECM1021) Keith Jarrett, Jack DeJohnette: Ruta and Daitya (1971) ここからボクが知るECMがはじまる

(ECM1021) Keith Jarrett & Jack DeJohnette: Ruta and Daitya(1971)
A1. Overture (Keith Jarrett)
Communion (Keith Jarrett, Jack DeJohnette) 5:57
A2. Ruta and Daitya (Keith Jarrett, Jack DeJohnette) 11:12
A3. All We Got (Keith Jarrett, Jack DeJohnette) 1:56
B1. Sounds of Peru (Keith Jarrett, Jack DeJohnette)
Submergence (Keith Jarrett, Jack DeJohnette)
Awakening (Keith Jarrett) 6:28
B2. Algeria (Keith Jarrett, Jack DeJohnette) 5:44
B3. You Know, You Know(Keith Jarrett) 7:40
B4. Pastel Morning(Keith Jarrett) 2:03
Keith Jarrett(p, el-p, org, fl), Jack DeJohnette(ds, perc)
Design: B & B Wojirsch, Leena Westerlund
Engineer [Mixing]: Rapp, Wieland
Engineer [Recording]: Eddie...
Producer [Album Produced By]: Manfred Eicher
Recorded at Sunset Studios, Los Angeles
Remix at Tonstudio Bauer, Ludwigsburg
Release: 1973 

https://www.ecmrecords.com/catalogue/143038750614/ruta-and-daitya-keith-jarrett-jack-dejohnette

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 [2019-10-31] 改めて聴く1970年代ECM

ECMというとアコウスティックな音の印象が強いが、決してそうではなかった。ジャズ・ロック的なものもあって、むしろ主流派ジャズの周縁を持ち場にしたレーベルだと思う。だから時期によって周縁が移っていく。そこが面白いのだ。

このアルバムはまさにそう。今になっては珍しい、キース・ジャレットの電気楽器の演奏を聴くことができるのだけど、それがECM的でない、とは思わせないのだ。

それにしても、ここには好き(だった)キースの断片が詰まっているなあ。

 

[2015-03-08] ここからボクが知るECMがはじまる

 この時点まで、録音の段階でECMとしてproduceされていないものは何枚かある。やはりECMらしくない印象がある。しかしながら、このアルバムもそうでありながら、tonスタジオでのre-mixで、紛れもなくECMの音世界になっている。二人で音を出す、交わり会う悦びに浸る、そんな時間・空間を淡い広がりをもってレコードの中に閉じ込めている。マルチ・トラック・テープでのしっかりしたマスターなんだろうな、と思う。同様の経緯のブレイは1960年代半ば。技術の違い、だろう。

そのような作り、についてはアイヒャーの几帳面さ、がcreditに出ていて、アイヒャーはアルバムというmaterialのproduceと明記されている。面白い。しかし、過去のアルバムでは録音時期が明記されているが、これは記載がない。wikiによれば、1971年5月。丁度、マイルス・バンドでファンクをやっていた時期。だからこそ、の二人じゃなかろうか。

この1021番も紛れもなく「1970年代のECMの音」の中心。発売は1973年。1971年のシーンにおける、振幅が大きな音の変化のなかから、思索の1972年を通じ、1973年から音像が固まったECMの音が流れるように出る、そんな流れだったのではないか。迷いや惑いがなくなった(ように見える)アイヒャーのもとから、ECMの代表作とも云えるアルバムが出始める。1019番まで(残りテイクの2020番はともかく)と1021番の間に大きな「ギア・チェンジ」を感じる。ジャズの中心から離れ、周辺にある豊穣な音の世界、をボク達に教えだした、のだ。

ボクはこのアルバムがかなり好み。電気からアコウスティックまでが一体感を持ってまとめられている。音楽のスタイルやジャンルに対するこだわり、のなさ。既成概念を壊すのではなく、抜け出した音。古くさい云い方だけど、ジャズの脱構築。この立ち位置が確かに「現代ジャズ」の原点であり、また反スタイル的で「あると思われた」がスタイルとの係累の中にあったフリージャズよりも、既存のジャズを壊す始原的な力に満ちあふれていた音ではなかったか。確かに、定型的な応酬の罠に陥りやすいimprovisation(作曲行為の一つと思えば)よりも自由な音を紡ぐ世界じゃなかろうか。

ここからボクが知るECMがはじまる。そして、それから6年後の日本で、ボクは確かに受け取りはじめたのだ。

追記:下記2011年の記事をみると、この頃からLPに再び手を出しはじめているねえ。


[2011-1-31の記事]

Keith Jarrett & Jack DeJohnette: Ruta and Daitya(1971) 電気ピアノキース・ジャレット

30年程前、このアルバムを友人の兄から借りたことがある。ケルン・コンサートですっかりキース・ジャレットが気になっていたとき。まだジャック・デジョネットの何たるや、を知らないとき。聴いてみて、何だか良く分からなかったから、気にも留めなかったアルバム。ケルン・コンサートのように、時折はっとするような美しい旋律がある訳でもなく、良質なモダン・ジャズが孕んでいる昂進するビート感がある訳でもない。わけがわからない、と思った。

最近、急にこのアルバムが気になって入手したくなった。アマゾンでCDをみるとジャケットが変わっている。

ちょっと違和感が強いので、当時のLPレコードを入手した。独ECM盤。手触りが気持ちいい。

このアルバムでキース・ジャレットはピアノの他,Fender Rhodes(電気ピアノ)、ソプラノサックス、フルートなどを吹いている。70年代のキースはそんな吹き込みは案外多い。それが、ピアノを聴きたい聽者に少なからぬストレスを与えるのだけど。電気ピアノもしっかり弾いていて、ボクはとても気に入った。マイルスとの共演時もそうなのだけど、「裏返しのグルーヴ感」のようなヘンなウネリがあるのだ。正面からはノレないのだけど、気持ちの裏側から入ってノセていくような。そこにデジョネットの打楽器が自由に絡む。淡々と音遊び、の時間が過ぎていく。子供に還ったふたりが楽器が放つオトに驚き、投げ合う。

それにしても彼らのLAでの自主録音をre-mixで紛れもないECMの音を造り出している。音質的にもそうだし、音楽的にも。自由に演っているふたりの音が、フリージャズにも伝統ジャズにもなっていない。ECMのジャズとしか分類できない。フリージャズという反様式という様式に堕とさないトコロが素晴らしい。まさに脱様式、というアプローチになっている。まさにアイヒャーのプロデュースの力。同じようなキースの多楽器録音をジョージ・アヴァキャン(アトランティック盤)のプロデュースで聴くと、とても散漫で、キースの驕慢な姿勢を感じてしまうのだ。演りたいオトを出すから聴け、のような。だから、今のキース・ジャレットはマンスフレッド・アイヒャーとの共同作業の産物じゃないかな、と思うのだ。

聴いてよかった、ボクのなかの30年を遡る部分もあったから、懐かしい。万人受けするアルバムじゃないけどね。ボクは時々聴くかな。

参考記事:

https://jazz.txt-nifty.com/kudojazz/2005/06/ruta-daityakeit.html

Ruta & Daitya

Ruta & Daitya

 

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LC番号はないが残念ながら背文字あり。オリジナルじゃないが、近い

Made in の表示がない。オリジナルと同じレーベル表記