K’s Jazz Days

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ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

(ECM1379) Keith Jarrett: Dark Intervals (1987) ソロの奔放さよりも

Dark Intervals

(ECM1379) Keith Jarrett: Dark Intervals (1987)
A1. Opening 12:51
A2. Hymn 4:55
A3. Americana 7:10
A4. Entrance 2:54
B1. Parallels 4:56
B2. Fire Dance 6:50
B3. Ritual Prayer 7:10
B4. Recitative 11:16
Keith Jarrett(p)
Design: Barbara Wojirsch
Engineer: Kimio Oikawa
Producer: Manfred Eicher
Digital Recording April 11, 1987 at Suntory Hall, Tokyo.

https://www.ecmrecords.com/catalogue/143038751285/dark-intervals-keith-jarrett

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何年か振りに聴いてみる。数年周期でキース・ジャレットを聴いたり、聴かなかったり。特にソロの自己陶酔的な瞬間が嫌になる時と、惹き込まれる時の気分の違いが大きい。

このアルバムを聴きなおすと自己陶酔的な印象は強くない。ソロの奔放さよりも、精緻に組み立てられた曲を聴くような感じ。特にA面1曲めの漆黒の闇、B面1曲めの天蓋からの光のような、曲そのものに惹かれた。

しかし、ソロといってもメルドーとは随分違う。メルドーのソロ、東京での演奏は丁寧なtranscription。様々な曲が再構築され、美音のピアノでひとつの音世界に丁寧に組み直されている。

このアルバムでのキース・ジャレットは実に魅力的な曲、そのものを生み出している。その曲の美しさとピアノの美音が止揚されたような感覚を与える。そのような高み、にある。

残念なのは録音。録音そのものは、メルドーのアルバムのほうが明澄で力がある。それは多分にディジタル録音機材の能力に由来するダイナミックレンジの違いにあると思う。メルドー東京との15年くらいの違いはとても大きい。音場の感じはとても良いので。そこが残念かなあ。音と沈黙の間が滲んでいるような印象。この時期はまだアナログ録音のほうが良かったんじゃないかな。

 

[2011-10-21] 沸き上がる雲が千切れるように

 CDの小さなジャケット写真をじっと見つめる。焦点が合いにくくなった眼のなかで、数日前に見た光景と重畳していく。空高く、県境の山から沸き上がる雲が千切れていくるように、音が沸き、流れ、そして消えていく。いつだって、ドルフィーがこの世を去る数日前の独白

When you hear music, after it’s over, it’s gone in the air, you can never catch it again.

を忘れているわけではない。そう、never catch it againなのだ。勿論、CDという700MBというディジタル媒体のなかに動態保存されている、ように思ってもいる。だからといって、それがcatch it againと云えるのかどうか。物理的には空気という媒質の振動に過ぎないものが、音楽として認知されるには聴き手の心象のなかで認識されねばならない。そして我々は、ほかのヒトがどのように認知しているのか残念ながら知りえないことなのである。だから、とても個人的な営みであり、そこに聴き手の心象が介在しているのだから、認知される音は心象のゆらぎ(のようなもの)により毎回異なっている筈である。だから、二度と同じ音に出会えないのだ。たとえ、精緻なディジタル媒体を用いたとしても。

 だから沸き上がる音が千切れ、心象のなかで消え去るときの寂寥感を楽しんでいるのか、愛惜しているのか、そんな他愛もないことをぼんやりと考えながら聴いている仕事場の夜。いろいろな温度が下がりはじめると、こんな音に惹き込まれていく。そんな一期一会のような感覚が、安っぽい、だけど精緻なディジタル媒体に対してだってあるのは、さっき書いたようなことだから。

 1987年のサントリーホールでのソロ。ひとつひとつにタイトルがつけられ、ただの物理現象に過ぎない「音」の性格を与えていく。そして時として気持ちを鷲掴みにするような響きが織り込まれている。その頃ボクは東京近郊に居たので、これを聴く機会はあった筈だ。だけど、なんともキースに対する興味を失っていた時期。だけど、ボクの気持ちが大きく開いた今、この音に素直に取り込まれていくことを素直に悦んでいる。会うべき時に会ったのだ。そして、再び消えていく。

 全体的に精神の躍動感を表現しているのではなく、暗い場所から光の方角を仰ぎみて、そしてそこに確たる救いを見出してるような、穏やかな心象風景が広がる。ときとして粒状の音が、波動でもあり粒子でもある光そのものをイメエジを喚起していく。

 きっと遠からず、そんな感覚がふいに訪れたことなんか忘れてしまうのだろうけど、そんな出会いがあったことを書きたくなってしまったのだ、今宵は。 

ダーク・インターヴァル

ダーク・インターヴァル