K’s Jazz Days

K’s Jazz Days

ジャズを中心とした音楽と本の備忘録

Olli Mustonen: Prokofiev/Visions Fugitives(束の間の幻影)

Oli Mustonen: Prokofiev/Visions Fugitives(束の間の幻影) (1996,Decca)
   1. Prokofiev: Visions Fugitives
   2. Hindemith: Ludus Tonalis

 実にいろいろなことがあった。

 ボクが知りえない世界、もしかしたらソコからボクもやってきたのかもしれない世界に肉親を送り出した。ボク自身、その世界に随分近づいているから、一つの区切りを淡々と済ませたような不思議な感覚。秋空にたなびく一條の煙をいつまでも眺めていたかった。焦げ臭いような雰囲気だけを覚えている夕暮れ時に、深い群青色の空の奥で月が震えているように思えた。。

 夜になる、ということは闇をみて知覚するのでもなく、時計を見て知覚するのでもない。ただ、夜が来たという気持ちが沸き上がることで知覚するのではないか。とても長い時間、白山の中を彷徨うように歩き続けた。まだ明るいうちに山から下ったのだけど、赤みがかった斜光のなかで風に吹かれていたら、すでにボクが夜のなかに居ることを知った。何故だろうか、と不思議な時間の流れに入った。街へと急いでいるとき、暫し前に歩いた山嶺から大きな月が飛び出した。青みがかって綺麗だった。日没後の森の中を歩くことが何となく億劫で早く降りたのだけど、もう少し歩いてもよかったかもしれない。青い淡い光のなかで歩く森は、どんな匂ひが漂っているのだろうか。

 夜半をまわって仕事場を出て、満ちつつある月のもとを歩いた。川沿いに少し行くと、街灯は落ちて、輪郭がはっきりとしない滲んだようなヒトガタがボクと一緒に歩いていく。こんなとき、目の前の丘の向こうから、無蓋車が鉄路を響かせているような音の軌跡が見えるように感じるのは何故だろう。音の減衰率が月齢に拠るような面白い錯覚。 そんなときは在るモノよりも、もっと確かに見えるポッカリとした隙間の中に入って、いつまでも呑んでいたい。

 プロコフィエフの束の間の幻想、というピアノ曲がある。いつ聴いても、何事も束の間の幻想であるという冷徹な事実認識を喚起される。明澄な月の光のもと、匂ひ立つような曲を聴いて過ごす時間も、もちろん束の間の幻想に違いない。  だからこそ、こんな刹那が愛おしい、ということを気づかせてくれる。  

 夜半過ぎ、そんな月夜に漂う匂ひを感じながら、こんな音をいつまでも聴いていたい。すべてが尽き果てるまで。

 

追記:このCDの存在を教えていただいたYさん、ありがとうございました。このアルバムから、音を知ることの愉悦が何刻も与えられることに驚いています。