北陸に移り住んでまもなく4年半になる。とても長い時間のように感じるし、また短い。最初の1年の時間の長さ、は素晴らしいもので、気持の中のギアを2段くらい落としたような感覚を覚えた。遅く、そして力強い。秒針が流れていくのではなく、明確に刻んでいることが感じられるような時間。意識をどこか遠くの棚の上に置き忘れたような。
そんな、意識だけがどこか異界のような場所に置き去りにされたような気分で空や山を眺めていたことが懐かしい。墨絵のような、濃淡だけの光景。グラデーションだけで描かれた一幅の絵をみながらすごす。北陸に住む、という意味が左様なものだ、と思った。モノトーンという色彩、の息を呑むような表現の強さ、を愉しむ日々。そこから喚起される心象に感情はなく、ただ墨絵の中に溶け込んでいくような、静物になったような気分を味わったものだ。
音にも色があるように感じるときがある。ECMを愉しむ、ということは、その色が限りなく抑制的で、漆黒のような沈黙のなかから、点描のように音が沸き出る。その僅かなゆらぎ、のようなものに意識がゆっくりと反応していくような過程を味わう。だから、このレーベルの出自が1960年代末から1970年代はじめのジャズ、improvisationの一断面、であったとしても、現代音楽やクラシックへ触手が伸びていくことに驚くほど驚き、がなかった。
このアルバムはラヴェルの鏡にはじまって、武満の雨の樹素描、メシアンの鳥のカタログ(La fauvette des jardinsは後年足された曲らしい)と続く。20世紀の音を集めたもので、恐ろしく気分に合う選曲になっている。そしてECMに集積された音のなかに見事に溶け込んでいる。気持の中で、モノトーンという色彩の美しさ、に気持が行き、北陸の冬の光景と近いような、低い音の温度。音と音の間の無音、の美しさを存分に味わえる。
ラヴェルの鏡は音が稠密に詰まっていて、その音列の艶のようなものを愉しむ曲だと思うのだけど、驚いたことに、微妙に「こぶし」のような「音のうねり」があって、あるいは時間の非連続といおうか、無音、のように感じられる瞬間が感じられる。その感触が微かな愉悦感を醸し出す。武満の曲はinterludeのように作用していて、人のコトバと鳥のコトバの間で、樹が沈黙しているような不思議な橋渡し。時間がいったん止められる。メシアンの曲は鳥の囀りそのものであり、彼らが我々と異なる言語(?)空間で生きている事実をまざまざと感じさせる。そんな「難しい曲」なのだけど、ヒトの感情がない、異界の時間軸のなかで、遠くに見える崖のうえに見える黒い雲が、ただ在り、ただ流れ、ただ消える、そんな映像を眺めていたような心象だけが残った。
とても毒が強い音楽、だと思う。ジャズの本質が反復による愉悦であり、麻薬的な作用ならば、この手の音楽は真性の毒。一撃でなにかに持っていかれるような強度、がある。ご注意。
(このアルバムはtoshiya氏のblogで知った。感謝!)
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児玉桃: La vallée des cloches (2012, ECM)
Maurice Ravel (1875-1935): Miroirs
1. Noctuelles
2. Oiseaux tristes
3. Une barque sur l’océan
4. Alborada del gracioso
5. La vallée des cloches
Toru Takemitsu (1930-1996)
6. Rain Tree Sketch
Olivier Messiaen (1908-1992)
7. La fauvette des jardins
児玉桃(p)
Design: Sascha Kleis
Photography By [Liner Photo (Booklet Page 12)] – Roger Viollet*
Photography By [Liner Photo (Booklet Page 13)] – Guy Vivien
Photography By [Liner Photo (Booklet Page 14)] – Harry Croner
Photography By [Liner Photos] – Marco Borggreve
Engineer [Tonmeister] – Stephan Schellmann
Producer – Manfred Eicher
Recorded September 2012
Recorded at Historischer Reitstadel, NeumarktHistorischer Reitstadel, Neumarkt